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私がスマホに依存する理由

 はっきりと言ってしまうと、私はスマホに依存している。暇があればスマホを触っている。一度でも素の私を見たことをある人からすれば、四六時中画面と睨めっこしている様子を見たことがあるはずだ。

 もちろん、誰かとご飯を食べている時や、話をしている時にスマホを触ることはほとんど無い。もしも触るときは「すみません」とか「ごめんなさい」と一言かけてからスマホを触る。これは仕事の連絡がSlackやChatworkで来る可能性があるため、やむを得ないものだ。問題は一人で居る時である。

 一人で居る時、基本的にスマホを触っている(上述で言う素の私というのはこの状況を指す)。それで何をしているかと言われれば、Twitterとネットサーフィンだ。特にTwitterに関しては、深夜で無ければ何らかの新しいトピックが生み出され、それを目入れられる。これが、思考からの回避に一役買っていることに気がついた。

 私は基本的に些細なことにイライラしたり、何かネガティブなことが起きると、そのことについて、思考が囚われるタイプの人間だ。何らかの出来事の後、ふと素の状態に戻ると、イライラしたりネガティブな思考に囚われてしまう。その時、スマホがあるとそこには何らかの情報があるため、気を紛らわせることができる。これが、ついついスマホを触ってしまう原因だと気がついた。

 ある意味では、ストレスや不安感を避ける方法になっているのだが、これには大きな問題がある。それは、物事を深く考えなくなることだ。

 最近、著しく思考力が落ちてしまっていることを実感している。ここで言う思考力というのは、ある事象に対して検討し結論を出すことを指す。スマホを触っていると、雑多なトピックが常に視覚情報として提供されるため、思考のフローがバイパスされる。結果として、常に目の前にある情報に満足して、その情報から何かを考えることが無くなってしまったのだ。

 おそらく、思考のフローがバイパスされる理由として、トピックのコンテンツが多方向に渡っていることだろう。かつて、読書をしながら歩くような、本の虫のような生活をしていたことがあったが、その時は今ほど思考力が落ちると思うようなことが無かった。なぜなら、本はあくまでもひとつのコンテンツを扱うものだからだ(雑誌などは例外かもしれないが、雑誌を買って読むことはほとんど無いので分からない)。

 じゃあ、スマホを触る機会を急に減らせるかと言われればそれは難しいと思う。だが、今の状況を是とできないのも事実なので、もう少しスマホとの向き合い方を考える段階に来ているのかもしれない。